境界を無くす

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 四谷三丁目のチェコ料理屋のカウンターで、アニメーション作家ヤンシュヴァンクマイエルについての本を読んでいる。チェコアニメの中における異端児的存在のシュヴァンクマイエルだが、先日までそんなことはつゆ知らず、ただただ好きだなと思う作家の一人だった。

 最近念願叶って阿佐ヶ谷のミニシアターで観た「ひなぎく」もチェコのものだったが、その人気っぷりに驚いた。お客さんには若い人も年を重ねた人もいた。60年代の映画がどの時間帯も満席(座席数は少なめにしろ)というのは、単純にすごいなあと思う。



 すきだなと感じたものを思い返してみると、ばらつきはあるものの、なんとなく共通点があったりもする。
 それについてはあんまりはっきり言語化したくないような気持ちがあったり、ただ単に言語化しようとしても語彙が追いつかないっていうような理由でふんわりとしか言えないけれど (でもそのうち掘り下げて考えられたらな、と思う)、
 様々にある境界線(例えば、 夢と現実、正常と異常、ユートピアとデストピア、生と死、有と無 といったような)を壊して、混ぜこぜにしちゃうような作品に惹かれる。
 そういう作家は突飛な表現しているように見受けられるかもしれないけれど、何もかもを二項対立的にはっきり線引きしようとする行為や雰囲気に違和感を感じることが多いから、しっくりくるのかな。

 そのような作風は反抗的とかシニカルとか評されるものも多いし、確かにそういう面もいいんだけど、ただそれだけじゃなく、どのジャンルに関しても「在り方を問い直す」ことをしているように見受けられる。
 
 既成概念を疑うことなくそのまま受け入れて流されて生きていくことは、わたしにとってはあまり意味がない、なんて思ってしまうことがある。なんというか何か大きなものに操作されているんじゃないかとさえ感じる。(シュヴァンクマイエルは、資本主義にシフトしていく中で抑圧は操作に形を変えて存在し続けている、といったようなことを述べている。)でもそんなのは自分を生きづらくしてしまうだけなのかな。

そろそろ部屋に戻らないと。