東京の台湾料理

 どうしても聴きたい講演があって、日帰りで東京に行ってきた。本当は一泊するつもりだったんだけど。

ベンガル地方のヒンドゥ、ムスリム研究をされている文化人類学者、外川先生の講演だ。
 
 講演について、というかそれに関連する内容(南アジア、文化人類学、宗教学等について)は、私自身とても興味がある分野でありながら知識不足で全然まとまってないので、また改めて書こうと思う。
 
 夜ごはんは下北沢の台湾屋台料理屋 「新台北」に行ってきた。
 
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 赤い提灯とネオンサインがかわいい。手前には本多劇場がある。何年後かに東京で生活を始められたとしたら下北沢や阿佐ヶ谷の劇場に足を運びたいなぁ、なんてひとり胸を膨らましながら、店内に入る。
 
 台湾出身の店員さん達(店長らしき小柄でひょうきんそうなおじさんと青年二人)が奥の厨房で中国語でおしゃべりしながら、カチャカチャやっている。お客さんにはカタコトの日本語。
 
 担米粉(米粉の麺。ネットで調べたところ、鰹節と豚骨と大量のエビ頭の出汁の薄味スープらしい。豚そぼろの肉味噌がのっていて、特製味付け玉子がトッピングが可。)を頼む。後は香腸という名前の腸詰と台湾風生春巻きを頼んだ。
 
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 トッピングした特製味付き玉子(日本のラーメンについてるような味たまとは違う。このお店ならではの味付けのようなので細かいことは分からないが、薄味で食べやすかった。)をかじりながら、烏龍茶漬けゆで玉子のことを思い出す。
 
 台湾人は余程玉子&烏龍茶好きなのか、烏龍茶で煮込まれ黒くなった玉子はどのコンビニやスーパーでもたいてい売られていた。鍋ごと置かれていて、一個単位から買える(下写真参照)。塩っぱかったが、見た目ほどゲテモノ感がある味ではないので、臭豆腐に比べたら日本人でも全然口にできるものだと思う。というか烏龍茶漬け玉子も臭豆腐も何度か食べているうちに癖になってくる。
 
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 担米粉が出てきたときにふわりと鼻をかすめたスープの匂いで、台湾の屋台や食堂の情景がふと蘇った。
 
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 担子麺、担米粉(麺の種類が違うだけ)はもともと台南発祥らしい。
 週末、みんなが勉強しているなか(短期留学中は台北の大学の寮に居た)台南に日帰り旅行をし、海老のつみれ汁を食べたのを思い出した。
他にも串に刺された練り物を甘辛いタレにつけて食べるようなものも食べた。台南は魚介系の料理が多い。
 
 照りつける太陽のギラつきの下に、ゆったりしたムードが流れているような街だった。
 
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 因みに更に南に位置する高雄市は、海鮮の大きさが半端じゃなくて若干こわかった。
 
 
 
 少し前の話になるが、春は巣鴨台湾料理屋「台湾」に東京に住んでいる友人を誘って行った。路地にひっそりと佇む「台湾」。
 
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 「台湾」に行き着く前、地蔵通り商店街で 漫才コンビさらば青春の光」のロケに出くわし、相方の不祥事のせいでイメージが悪くなりすぎてヤバいんやけど、君らはどう思うかみたいな流れだったので、私達(といっても友人はこのコンビの存在さえ知らなかったので、話を合わせてくれていた。巻き込んで申し訳ない。)なりに励ましたのだか全カットされていた。どうやら番組の趣旨的に「最低、みんなに謝れ」といった感じで罵倒しなければならなかったらしい。そんなん知らんわーい。
 
 「台湾」は台湾人の奥さんと日本人の旦那さんの夫婦で切り盛りしていた。店内はこじんまりしていて、時々奥さんの方が話しかけてくれる。
 「新台北」は量少なめで品数が多く、こちらは一品ドーンという感じ。台湾にいる間は小籠包の次に牛肉麺を食べた気がするけど、「台湾」の牛肉麺は本場の味ですごく美味しい。
 
 この日は目玉メニューの角煮を頼んだのだけど、噂通りのインパクトだった。
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 ビールが得意じゃないくせに、瓶のかわいさにつられてついつい頼んでしまい、酔って後悔することがわりとある。
 

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 台湾ビールや青島ビールは飲みやすいし、ビールが得意じゃなくてもわりかし美味しいと感じられるので助かるのだが、この日は角煮のパンチとビールの炭酸で動くのが辛くなるほどお腹がぱつんぱつんになって、やっぱりビールは頼むんじゃなかったと後悔した。

 
 
 「新台北」「台湾」、どちらの店でも歌謡曲が流れていた。時々日本語(台湾人、台湾人という概念もよくわからないけれど、が唄っていると思われる)の曲が入る。日本統治時代に日本語を習った世代に流行った歌なのだろうか。「新台北」で流れていた曲は、女性の高らかな声で唄われており、明るさがありながらどこか切なく、それでいて懐かしい音色だった。
 
 今日の講演での「ポストコロニアルを考える時、その国が政治的に独立したとしても、言語や宗教などをはじめとする文化は、植民地時代の影響が色濃く残っている」という言葉を思い出す。講演内容はバングラデシュについてであったが、植民地時代を経験した国にはほぼ当てはまる言葉ではないだろうか。
 
 現台湾は親日的であり、また日本語に対しても親しみを持ってくれているように感じる。それはありがたいことであるが、その背後にある隠された歴史、高校の日本史では殆ど語られることのなかった歴史に対して眼差しを向ける姿勢も忘れてはならないと思う。
 
 「新台北」のメニューに、「台湾料理のルーツを探ると、福建省の各地方、地方の料理が集約されて作り出されたといわれている」と書いてあった。最近、文化の「ルーツ」について先生と話す機会があったのだが、それについてはまた改めて書きたいと思う。